声なき想いをすくい上げ、未来の体感に変える。
それが、この場所がWordPressである理由のすべてです
WordPressは、思想を構造に変えるための“素体”だった
わたしにとって、WordPressは「ツール」ではない。
それは、“願いを構造化できる自由”を持った空間でした。
HTMLでもない。ノーコードでもない。noteやSNSでもない。
わたしの思想に、最も近づける余白が、WordPressだけにあった。
このテーマ「KunioPress」は、コードからデザインまで、
構造そのものに思想を宿すという一点で構築されています。
たとえば、行間。
スクロールの遅さ。
ナビゲーションの導線。
すべてが、まだ言葉にならない“願い”に触れるために設計されています。
その繊細な設計を、誰の制約もなく形にできる唯一の場。
それが、WordPressだったのです。
「書く」ではなく、「構造する」という意志
多くのブログは、情報の発信を目的としています。
でも、このブログは違います。
これは、「まだ見ぬ私」に出会うための構造体です。
- 見出しが「問い」を開くように
- 余白が「息」をするように
- 回遊が「感情」を促すように
その設計には、単なるCMSでは成立しない“設計の自由”が必要でした。
だからこそ、WordPressなのです。
自由は怖い。でも、だからこそ“本当の願い”が見える
WordPressには、なんでもできる怖さがあります。
だから多くの人が、テンプレートに逃げる。
でも私は、ゼロから自分で創ることを選びました。
なぜなら、願いの温度を濁らせたくなかったから。
自分の手を通さずに語る言葉に、責任が持てなかったから。
- デザインを誰かに任せたら
- 構造をテーマに頼ったら
- 更新をツールに委ねたら
きっと、「自分の願い」が見えなくなってしまうと思ったのです。
「わたし」が主語である構造へ
noteには“言語化された”快適さがあります。
SNSには“拡散される”心地よさがあります。
でも、そのどちらにも、まだ見ぬ私が立ち上がる場所はありませんでした。
WordPressは、主語が「わたし」である場所。
思想が言語よりも先に設計できる空間。
それが、わたしがWordPressを選んだ決定的な理由です。
KunioPressは「思想の装置」として存在している
このブログは、“見られる”ためのメディアではありません。
願いの構造を確かめるための装置です。
- CTAをつけたのはなぜか?
- 記事一覧があの順番で並ぶ理由は?
- メタ情報をどこに仕込むか?
その一つひとつに、思想があります。
そして、WordPressでなければ、その思想を形にすることはできませんでした。
最後に:未完のままで、問い続ける
このテーマは、まだプロトタイプです。
でも、プロトタイプであることに意味があります。
なぜなら、願いもまた、完成されることがないから。
WordPressは、常に開かれている構造です。
書き換えられる。壊せる。再定義できる。
だからこそ、「変化する思想」に寄り添える。
わたしはこれからも、この場所を更新しながら、願いの形を問い続けます。
あなたの願いも、構造にできますか?
もしあなたの中にも:
- まだ言葉になっていない願いがあり、
- どこかに触れる場所を探しているなら、
この場所は、あなたのために存在しています。
WordPressは、“願いの設計”を受け入れる唯一の構造体。
KunioPressは、その思想の器です。
ここで、あなたの願いと出会える日を、
静かに、深く、お待ちしています。
願いは、構造できる。
そして、構造は、未来を体験に変える。だから、WordPressだった。